イメージ画像

はじめに

岩木山北面にある大石神社から歩いて10分ぐらいすると、一般に赤倉と呼ばれる霊場に至ります。当神社は、「赤倉霊場」と呼ばれる所にあります。

「赤倉霊場」には、沢山の霊堂があって、霊堂はみなそれぞれに独立しています。

「赤倉霊場」は、藩政期から「不思議の場所」として知られていました。

近代以降の「赤倉霊場」は、津軽地方でカミサマと呼ばれる人たちの修行場、霊地として知られています。

「赤倉霊場」全体のあゆみについては、先ず古くから由縁があるのは、三重塔のある赤倉山宝泉院です。(現在は、三重塔は有りません。)宝泉院は、弘前市西茂森の禅林街に寺院が有ります。

次に、生き神様として最初に入山し、お堂を建てたのは、種市の赤倉山神社です。「種市栄助様」として名が知られています。

「赤倉霊場」が今日のように沢山の霊堂が建つ基礎を造ったのは、当神社の前身である「鼻和の霊堂」を建てた工藤むらです。(「赤倉霊場」に最初に足を踏み入れた女性でもあります。)

その意味では赤倉山神社開祖である鼻和のばさま(お婆さん)こと工藤むらは、赤倉霊場中興の祖とも言えます。

津軽の荒吐神伝承と赤倉信仰(文芸協会出版)太田文雄 著より引用

民俗宗教と救いー津軽・沖縄の民間巫者ー(淡交社)池上良正 著より引用

 

詳しく書かれているホームページ 卍赤倉霊場崇敬会(外部リンク)

 

現在、当神社には、「カミサマ」と呼ばれる人は居なく、占卜(せんぼく)等も行っていません。専ら、神職による祈祷が中心です。

当神社は、瑞穂教本庁を包括団体とする被包括団体の宗教法人です。

また、氏子がおらず赤倉信仰を持っている信者が集まる崇敬型の神社です。

当神社は、教派神道に属しています。