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赤倉詞

掛けまくも畏き天照皇大神を仰ぎ尊み奉りて、畏み畏みも拝み奉らんと、天津祝詞の太祝詞事を宣る、人はすなわち天が下の霊物なり、須らく魂鎮め鎮むる事を司どるべく、心は即ち神と上との主なれば、心を痛ましむる事あらめ、万物一切水と火とに類ひし、正しく直き元つ心は、大御神の美心と一つとなり、一つと成らむには、我を離れて天に任せ、生き生きて無きを養う人こそ真の人と申すべき成り、真は大御神、御心に隔て無く生き通して貫く事なり、斯くなる御祖の御諭しを尊み畏み奉らくを、平らけく安らけく聞食して、今も往先も広く厚く守り幸ひ給へと乞祈奉らくと白す。
辞別きて白さく、四方六十余州に澄み渡る、朝日の天照る御光も清々しく、陸奥の国岩木山に神鎮まります、顕国魂の大神、大山祇大神、龍姫大神と大御名を称へ申して謹請奉る、
別きては、赤倉の御山も深く磐戸の水口より、一の石樋、二の石樋と参登り、三の御倉を伏し拝み奉り、緑も深き立木立深草をして、神の御社と鎮まり座します、赤倉大権現と称え奉る龍姫の神、庚神の神、山姫の神と紫雲たなびく五色の御倉を遥かに拝み奉るがゆえに、吾が心の中の心の諸々の不浄を祓い清めて、六根清浄の心をもちて、拝み白す事の由を、神随天の八重雲を押しひらきて、見そなはし座しませと畏み畏みも白す。