平成30年6月9日、津軽三十三観音巡礼に出発。
毎年のように神社で御祈祷をしてから出発です。
第1番 久渡寺です。
とりあえず、観音様の参拝と関係ないですけど久渡寺の全体図を載せておきます。
参拝の様子は平成29年度の様子をご覧ください。
護国山 久渡寺 | 本尊 聖観世音菩薩 |
第2番 清水観音(多賀神社)です。
石段を登り切ると神社の横にあります。
神社正面で拝みます。
昨年の写真でも分かるように社殿は高いところにありますので後ろに気を付けておがみます。(大人数で参拝するときは、落ちないように気を付けて下さい。)
清水千手観音堂 | 本尊 千手観世音菩薩 |
第3番 求聞寺(ぐもんじ)です。
求聞寺境内の様子です。本堂です。
一代様の牛、寅が見えます。ここで「一代様」とはなにかといいますと、自分の生まれた年の干支を参拝する津軽地方の習慣です。ちなみに、一代様のねずみは第2番の多賀神社です。
本堂を通りすぎたところに観音堂があります。
岩木山 求聞寺(真言宗智山派) | 本尊 十一面観世音菩薩 |
第4番 南貞院(なんていいん)です。(写真はありません。)
南貞院は僧・南貞の開基で延宝年間(1673~81)の創建と伝えられる。当初は南貞庵と称し近くの天ケ崎にあったが、現在の地へ移健されたのは大正に入ってからだそうです。
南貞院(浄土宗) | 本尊 聖観世音菩薩 |
第5番 十腰内観音堂(巌鬼山神社)です。
巌鬼山神社の入口
本殿に入って左側に観音様があります。赤で囲っている部分が大杉です。
大杉です。写真に収まりません。
巌鬼山観音堂 | 本尊 十一面観世音菩薩 |
第6番 湯船観音(高倉神社)です。
湯船観音のはじまりは、かつてこの地に鬼神太夫という刀匠がおり、その刀の威力で村人を悩ました悪魔を退治し、村人を救った。またその技術により村人の生活は向上した。この報恩感謝のために村人は、刀匠を観世音菩薩とあがめたことがはじまりらしいです。
納札に名前、住所、願事等を書いてぶら下げます。
湯船観音堂(高倉神社) | 本尊 聖観世音菩薩 |
第7番 北浮田弘誓閣(きたうきたこうせいかく)です。
はじまりは、天和2年(1689)浮田村の庄屋であった惣兵衛が、三尺四方の小堂を建立し、聖観世音を泰安したのがはじまりと伝えられているようです。
北浮田弘誓閣(高倉神社) | 本尊 聖観世音菩薩 |
第8番 日照田観音(高倉神社)に到着
向こうの方に高倉神社の鳥居が見えます。鳥居をくぐったら急こう配の石段があります。
鳥居の脇に鰺ヶ沢町指定文化財になっている「いちょうの木」があります。
日照田観音堂(高倉神社) | 本尊 十一面観世音菩薩 |
第9番 見入山観音堂に到着
見入山観音堂周辺の追良瀬川です。アユ等が釣れます。
見入山観音堂(真言宗) | 本尊 如意輪観世音菩薩 |
第10番 円覚寺に到着
円覚寺周辺にある風待ち館にある船の後方部分のモニュメントです。
北前船でしょうか?
今年は、ご本尊開帳があるみたいです。
本堂も修復中でした。
春光山 円覚寺(真言宗醍醐派) | 本尊 十一面観音世音菩薩 |
第11番 下相野観音堂(高城八幡宮)に到着
延宝3年(1675)盛作右エ門がその屋敷に観音堂を建立し、如意輪観音を安置したのがはじまりらしいです。
その後元禄3年(1690)に改築され、幕末には飛龍宮と改称し、明治維新にはご本尊は没収されて高城八幡宮となったらしいです。
下相野観音堂(高城八幡宮) | 本尊 如意輪観世音菩薩 |
第12番 蓮川観音堂(月夜見神社)に到着
天和2年(1682)村人によって創建され、正徳3年(1712)に正徳院とともに再建された。その後安政2年(1855)に飛龍宮と改称し、神仏分離で御堂は解体されご本尊は上納、そして月夜見神社となったらしいです。
明治42年観音堂を建立し、村内にあったご本尊を奉安し12番の霊場は復活したみたいです。
蓮川観音堂(月夜見神社) | 本尊 千手観世音菩薩 |
第13番 川倉芦野堂(三柱神社)に到着(写真はありません。)
寛文8年(1668)の創建で、ご本尊は櫛引氏(霊祥寺を開いた禅僧の繁翁茂の一族)の稔持仏と伝えられ、戦乱で亡くなった人々の菩提を弔うために建立されたらしいです。
川倉芦野堂(曹洞宗通幻派)ー三柱神社ー | 本尊 聖観世音菩薩 |
第14番 弘誓寺観音堂(ぐせいじかんのんどう)に到着(写真はありません。)
慶安2年(1648)胡桃舘と呼ばれるこの地に移遷し、観音堂が再建される。江戸時代末には飛龍宮に改称するが明治の廃仏毀釈で神明宮となり、ご本尊は弘前最勝院へ移遷される。やがて僧・海野戒淳が当地を訪れ弘前最勝院よりご本尊をとりもどし、中村宅へ仮安置し、明治43年旧地に観音堂を再建、ご本尊を奉安したらしいです。
弘誓寺観音堂(天台宗) | 本尊 千手観世音菩薩 |
第15番 薄市観音堂に到着
元禄元年(1668)の創建と伝えられ、隣村の今泉より千手観世音を勧進してご本尊としたらしいです。
薄市観音堂 | 本尊 千手観世音菩薩 |
第16番 今泉観音堂に到着
新しい鳥居が建立されていました。
今泉観音堂(神明宮) | 本尊 千手観世音菩薩 |
第17番 春日内観音堂(相内飛竜宮)に到着
ご本尊の聖観世音は、寛文9年(1669)の創建と伝えられているようです。
春日内観音堂ー相内飛竜宮(浄土宗)ー | 本尊 聖観世音菩薩 |
第18番 海満寺に到着
赤枠部分が観音堂です。
観音堂正面から奥に進むと三十三観音石仏があります。
無縁山 海満寺(浄土宗) | 本尊 聖観世音菩薩 |
海満寺から義経寺へ行く途中の眺望台駐車場
あいにくの天気で視界が悪かったです。晴れていれば北海道が見えます。
第19番 義経寺(ぎけいじ)です。(写真はありません。)
義経は衣川の難を逃れ、南部の下長苗代から高舘(八戸市)・八幡宮を経て海岸沿いに三沢までたどり、六ケ所村より津軽へ入る。そして平内、油川(青森)、今別、袰月から三厩へたどり着く。ところが蝦夷(北海道)へ渡ろうとしても津軽海峡が荒れて渡れなかった。義経は岩上に念持仏の白銀の観世音菩薩を奉安し、三日三晩祈願した。満願の日、白髪の老人があらわれ、三頭の竜馬(戦舟)を与えることを告げた。翌朝三つの岩屋につながれている竜馬を発見、海もおだやかになっていた。早速義経は竜馬にまたがって蝦夷地へ向けて渡海する。三馬屋(三厩)の地名はこの伝説に由来し、義経の念持仏は後に僧・円空が発見し、観音像を刻み念持仏を胎内に納め、草庵に安置したという。これが竜馬山・義経寺のはじまりらしいです。
龍馬山 義経寺(浄土宗) | 本尊 聖観世音菩薩 |
第20番 高野山観音堂に到着
ご本尊の十一面世観音は天平年間(824~34)に慈覚大師が刻まれ奉安したものと伝えられている。しかし、その後堂宇は荒廃し寛政3年(1791)愍栄上人はご本尊を本覚寺へ仮に移遷し、自刻の十一面世観音の胎内にご本尊を納めた。そして2年後には観音堂を新築し、ご本尊を安置したそうです。
高野山観音堂(真言宗) | 本尊 十一面観世音菩薩 |
第21番 袰月海雲堂釈迦堂に到着
昨年と違い駐車場のスペースができていました。
袰月海雲堂釈迦堂 | 本尊 釈迦如来、聖観世音菩薩 |
番外の岩屋観音堂に到着
正保4年(1647)にご本尊の聖観世音を安置したのがはじまりらしいです。
鬼泊岩屋観音堂 | 本尊 聖観世音菩薩 |
今日泊まる旅館に到着
旅館 「はれやま」は、青森駅の裏にあります。いつもより早く到着しました。
夕食です。早く旅館に着いたので今年は、ゆっくり食べられます。
平成29年6月10日、第2日目です。
旅館が用意してくれたお弁当を持って朝6時頃出発。
第22番 正覚寺に到着
1時間位の朝食後、7時頃正覚寺に到着。正覚寺は県庁の近くにあります。中に入って観音様を拝みます。
無量山 正覚寺(浄土宗) | 本尊 聖観世音菩薩 |
第23番 夢宅寺に到着
正覚寺から大体30分位で到着です。
安養山 夢宅寺(曹洞宗) | 本尊 如意輪観世音菩薩 |
第24番 入内観音堂(小金山神社)に到着
大同年間(806~10)に蝦夷征伐のため出陣した坂上田村麻呂が、蝦夷の首長・大嶽丸を討ち、その首を埋めた上に観世音を安置したのがはじまりらしいですが、天慶(938~47)のころには平将門の孫・信田小太郎が白山権現社と観音堂を建立したとも伝えられているらしいです。
入内観音堂(小金山神社) | 本尊 聖観世音菩薩 |
第25番 松倉観音堂(松倉神社)に到着
梵珠山は今は県民の森となっているが、古くは高野千坊と呼ばれ、山岳仏教の霊山であった。奈良時代のころ、道昭上人が釈迦如来、文殊・普賢菩薩の三尊を梵珠山に奉安した。梵珠の名は文殊菩薩によるという。道昭上人が死んだあと遺命により遺骸は火葬にされた。日本で最初の火葬といわれるらしいです。
松倉観音堂(松倉神社) | 本尊 十一面観世音菩薩 |
第26番 法眼寺に到着
本堂のかやぶき屋根は文化財になっているみたいです。
お花が咲いていたのでとりあえず写真をとっておきます。
宝巌山 法眼寺(黄檗宗) | 本尊 十一面観世音菩薩 |
第27番 袋観音堂(白山姫神社)に到着
ここから山頂まで徒歩で行きます。
入り口付近にあるイチョウの木です。黒石市指定の天然記念物みたいです。
袋観音堂(白山姫神社) | 本尊 聖観世音菩薩 |
第28番 広船観音堂(広船神社)に到着
大同2年(807)、坂上田村麻呂が創建し後の正長元年(1428)に再建されているらしいです。
広船観音堂(広船神社) | 本尊 千手観世音菩薩 |
第29番 沖館観音堂(神明宮)に到着
観音堂のはじまりは延暦年間(782~806)坂上田村麻呂によると伝えられ、憲弘4年(1007)恵心僧都が刻まれた十一面観世音をご本尊として奉安し、その後永仁2年(1294)に僧・知慶、文明11年(1479)に一道坊全賢、天正4年(1576)に津軽為信がそれぞれ再興しているようです。
沖館観音堂(神明宮) | 本尊 十一面観世音菩薩 |
第30番 大光寺寺照閣(保食神社)に到着(写真はありません。)
津軽為信の娘・富姫の夫・健広が建長11年(1606)に聖観世音を奉安した観音堂と別当にあたる薬師如来を安置する慈照閣を建立した。その後、明治の神仏分離でご本尊は上納、かわって保食神社となるが、明治中ごろ千手観世音を安置してご本尊とし、霊場は復活したそうです。
大光寺寺照閣(保食神社) | 本尊 千手観世音菩薩 |
第31番 居土普門堂(いずちふもんどう)ー熊野神社ー に到着
入り口です。少し坂を上らなければなりません。
坂道の中間くらいです。
坂道を登り切ったところです。奥に赤い鳥居が見えます。
鳥居をくぐった右側に観音堂があります。
居土普門堂(熊野神社) | 本尊 千手観世音菩薩 |
第32番 苦木観音長谷堂(にがきかんのんはせどう)に到着
寛永9年(1632)の創建らしいです。明治の神仏分離で廃堂になったが、この間ご本尊を他へ移し観音堂跡へ熊野神社を勧請し、ひそかに観世音を奉安していたみたいです。
苦木観音長谷堂(熊野神社) | 本尊 聖観世音菩薩 |
第33番 普門院(山観)です。
津軽三十三観音巡礼の結願所の山観で観音様を拝み終わりです。
普門院(曹洞宗)ー山観ー | 本尊 聖観世音菩薩 |
※記述をするにあたり津軽三十三か所 観音霊場めぐり(札所研究会刊)平幡良雄 著より一部引用しました。
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